こんにちは。
アクティブウーマンの土屋です。
「ようやくカナダに行きまして」
という本を読んでます。
お笑い芸人の光浦靖子さんが、50歳にしてカナダ留学をされた様子を
日記のように書かれた本ですが、所々痛くて(笑)面白いです。
その中に、こんな一節がありました。
「”私はもっと出来る人間だったのに”。
いらんプライドは人の進歩を邪魔します。」
これ、オーストラリア留学も同じですよね。
到着してから、一日一日が冒険。
自分の英語の未熟さも手伝って、思わぬトラブルになったり、慣れないことばかりで
戸惑ってしまったり。
子供だったら怖くてギャーと泣けば済むけれど、大人になればなるほど
年を重ねるほど、つらいと言えない。めそめそ泣くわけにもいかない。
何か高い英語力を日本に持ち帰る、意気込んでいたことも忘れてしまうくらい
それどころじゃない。
「私はもっと出来てたのに。(日本では)」
という気持ちがニョキニョキと出てくる。
自分の生活が慣れてきて、アルバイトを始めてみても
時々、オーストラリアでの仕事を悪く言うつもりはなくても
「私はもっと出来てたのに。(日本では)」
という気持ちがニョキニョキニョキニョキ出てくる。
これは20代でも50代でも同じことを感じるかなと思います。
特に社会経験が長ければ
痛く感じるところだと思います。
そうした気持ちを静めながら、が大人の留学かなぁ、と思います。
弊社のカウンセリングでご相談される方から、
留学を理由に退職の相談をした会社の上司、
派遣登録先の会社の人、家族や親しい友人から
「留学するんだったら、何かカタチにしてきて帰ってこないとね」
なんて言われるそうです。
この話を聞く度に、
憧れていた留学を実現しようとしたら、
何かそれが穴埋めの為の罰を与えられているような、
お灸をすえられているような、
そんな感覚になるのは私だけでしょうか。
自分の将来を考えてくれていての励ましで
有難いアドバイスだと分かっているけれども、
そんな結果を出さなきゃ、
と、せっかくの自分の留学を窮屈にしないでほしいと思います。
そもそもオーストラリアに到着した時から、わからないことばかり。
形にしようなんて、
思っていたことすら忘れてしまう程、毎日英語との闘いです。
せっかく与えられた、自分で得た人生の中での大切な時間を
誰かに求めれた成果を出すためではなくて、
憧れてきた留学、オーストラリアでの学生生活を素直に楽しんでほしいと思います。
それくらいのことできる位、私は日本で頑張ってきたんだ、と胸を張って堂々と
人生の一時を楽しんでくださいね。