自分の意見を述べる海外の教育
最近は海外と日本の
教育の違いが気になる私です。
オーストラリアに住む私の友人が
娘の学校についての事情を
ブログに書いていました。
娘さんは現在ハイスクール。
日本は6年(小学校)、3年(中学)、3年(高校)
という数え方ですが、海外では
9年生、10年生、という数え方をします。
そして義務教育は10年生まで。
日本でいう高1ですね。
日本の義務教育は一応中学までですが
今では中卒、という人はほとんど
いないと思うので、実際は少なくとも
高校は卒業していると思います。
海外では15歳になると、選択科目を選んで
自分の興味や適性にあった科目に
集中するようになります。
この時点で大学に進学して更なる勉強を
続けるか、専門コースに進んで
専門知識を身に着けるかで、
同じクラスにいるのに
学んでいる内容が変わってくるようです。
宿題も自分の意見を述べるものが多く
「広島に原爆を落とした
アメリカの行為は正義から来るものか否か」について、
史実を調べて自分の考えをまとめよ。
という宿題もあったそうです。
時間のある子供だからこそ
図書館に行ったりして、たくさん調べる時間が
あると思います。
またカソリック系の学校なので
一日の始まりのお祈りには
「いかなる道を選んだとしても、
生徒達が、自信と可能性と
他者への思いやりを持てるようお導きください」
ということを祈るそうです。
友人は、自分の得意なこと、
やりたいことに目を向けさせる教育に賛成だ、
と書いていました。
自分のことを考えてみると
私は大学卒業まで、
何も考えていませんでした。
当たり前に進学して、
なんとなく卒業して。
ついでに言えば
なんとなく就職しました。
自分の適性についての
トレーニングを受けた記憶がありません。
はっきり言って
高校も大学も何を勉強したかなんて
覚えていません。
自分で何かを選択して、
自分の意見をまとめて、
ということをした記憶がありません。
これで思い出しましたが
私のまわりにはIELTSを
勉強している人が多いです。
そして、多くの人が、ライティングや
スピーキングなど
「自分の意見を発信する」
という科目が苦手です。
彼らは皆、英語力はものすごく高いです。
難しい単語もたくさん知っているし
英語もぺらぺらです。
でも、自分の意見を求められた時に、
何も考えが浮かばない、と言います。
そうです。これはもはや
英語力以前の問題なんです。
自分の意見を述べるトレーニングを
受けてこなかったことが
一つの要因です。
暗記は得意な日本人らしい傾向です。
例えば、東大卒で英語もぺらぺらの
30代男性。
IELTSのスピーキングのパート3が
苦手だといいます。
パート3は、ひたすら自分の意見を述べる時間です。
でも、質問はいたって簡単です。
なぜ人々はテレビを見ると思いますか?
なぜある種のスポーツは他より人気があると思いますか?
なぜ国によってテーブルマナーは違うのですか?
なぜ人は外食するのですか?
みたいな感じ。
彼の試験の際の質問は
「どうして若い人はもっと料理をしたほうがいいと
思いますか?」
ということでした。
彼はこれに対して、何も思い浮かばずに
固まったといいます。
私なら、例えばこういう質問なら
*外食だと栄養が偏るから
*高いから
*自分で作れば塩分や糖分を調整できる
*安全なものを選べる
*将来子供にも料理を教えられる
*親の大変さが分かる
*旬のものが分かる
*魚や肉の原型が分かる。命の大切さ。
*料理はクリエイティブなので息抜きになる
などなど、
たくさんのことが思い浮かびます。
大切なのは、普段からたくさんの情報に触れておくこと。
たくさんのことについて
自分の考えをもっていること。
柔軟な想像力をもっていること。
例えば、テーブルマナーについての違いは
インドは手でご飯を食べるとか、
日本はそばをすするけど、
海外だと音をたてて食事をするのは
それはとても下品なことだとか
そういう知識がないと
何も思い浮かんでこないと思います。
昔は日本では食事中におしゃべりしちゃいけない
なんていうのもありましたよね。
ご飯が口の中にある間は下品だとか。
日本ではいただきます、と言って
手をあわせますが、
海外ではないですよね。
回答があっているとか
間違っているというのは
試験の場合は関係ありません。
なぜなら、
あなたの意見を聞かれている
だけだからです。
だから、たくさん想像力を膨らませて
インドではどうして手でご飯を食べるんだろう?
昔は食器がなかったのかな??
手で食べたほうがおいしいのかな?
銀は毒だったとか??
とか、いろいろ不思議に思うことが出てきます。
回答が分からなければ、
ひょっとしたら、
昔は食器がなかったかもしれないし
銀は高価で庶民の手に入らなかったかも。
熱いものを食べる習慣がないから
手で食べるのが当たり前だったということが
推測されます、とか
まとめてしまってもいいと思います。
英語の試験は研究発表と違い
とにかく自分がどれだけの
表現力をもっているかの試験なので
それが歴史的な史実に基づいているとか
いないとかは関係ありません。
1つのものからどれだけの
発想や展開ができるか。
これが本当に大事だと思います。
言いかえれば、どれだけ興味をもって
いろいろなことに接しているか。
あとは、重複しますが、どれだけの知識を
もっているか、だと思います。
海外の人たちはこういうことを
10代のうちから叩き込まれているので
私たち日本人に比べると、得意だと思います。
お医者さんとか、頭のいい人たちが
これができなくて本当に苦労しています。
脳を柔らかくして。
全てのことを心を開いて見てみて下さい。
そして、こういうのは
練習でいくらでもできるようになります。
くせが付くと、スラスラと
たくさんの事を思いつくようになります。
ケンブリッジやIELTSのクラスに行くと
こういう練習をするようになります。
語学学校は英語を学ぶのが基本ですが
英語力がついてくると
その先の、もっと深い能力も
鍛えることができます。
こういう論理思考が身に付くと
メールの文章や話し方も変わってきます。
海外で学ぶって
やっぱり楽しいです。
まとめ
今回の記事では、海外と日本の教育の違いに焦点を当て、特にオーストラリアでの教育環境が子どもの自主性や思考力を育てる様子についてお話しました。
日本の教育ではどちらかといえば受動的に知識を詰め込むことが重視され、暗記力が試される傾向が強い一方で、オーストラリアの教育は生徒自身が意見を表現する力や、批判的に物事を考えるスキルを養うことに重きを置いているようです。
この違いは、例えばIELTSのような英語試験のスピーキングセクションで、自分の考えを問われる際に苦戦する日本人が多い背景にもつながっているのかもしれません。
自分の意見を述べるトレーニングがなされていないと、たとえ高い英語力があっても、すぐに答えが出てこない場面があるのは多くの日本人が共感できる経験でしょう。
実際、海外の教育現場では若い頃から「なぜ」を考え、論理的に意見をまとめる練習が繰り返され、こうした能力は年齢を重ねるごとに深まり、思考の柔軟性や表現力へと発展していきます。
日本では、このような教育が一部にしか普及していないこともあり、私たちが自主的な思考や意見表明に抵抗を感じてしまう要因の一つとも考えられます。
とはいえ、こうした論理的な思考力や想像力を鍛えることは、年齢や環境に関係なく習得できるものです。実際、IELTSやケンブリッジ試験の準備クラスでは、英語の基礎力を超えたディスカッションや論理的思考のトレーニングも行われます。
こうした学びが進むと、自然と発想が豊かになり、仕事のメールや日常会話の表現力にも変化が現れるでしょう。そして、「なぜ」や「どうして」に対する興味や関心をもって広く学び続けることは、自分の考えを柔軟に発展させ、どのような場面でも堂々と意見を述べる力を養うために重要です。
海外での学びがもたらす効果は、単に英語力の向上に留まらず、自己表現や論理的思考の強化を通じて、異なる文化や価値観を理解し、より深く多様な視点から物事を見る力を培う機会をも提供してくれます。
このような経験を通して、語学を学ぶ楽しさと共に、自分の意見や考えを積極的に発信できる力がついてくるのではないでしょうか。
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